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クリスマスの主役

クリスマス会に行った。
児童養護施設のクリスマス会。恒例となった。

とても楽しみにしていたのだが、気になることがあったのだ。
それは毎年参加していたある子がいなかったこと。

その女の子はちょっとお調子者で、いつもクリスマス会を盛り上げてくれていた。

さすがに年頃だしきっと学校とか他に用事でもあったのだろうと思っていたのだが、後になって実は部屋に引きこもっていたと耳にした。
学校生活で行き詰まりを感じていたことがあったらしい。


それを知った時、クリスマス会の印象がガラリと変わってしまいました。


今まで、子どもたちを応援するつもりでクリスマス会に参加していました。
元気にクリスマス会を楽しむ子どもたちを見て、逆にパワーをもらっていたが、しかしそこに出てきているのは「ある程度順調な人たち」であって、本当に応援を必要としている子たちはそこには来ないという現実を知りました。


クリスマスはキリストを祝う日。
なのですが、キリストはこんな風に苦しんでいる人たちのために来たのではないだろうか。
しかし、その子たちは楽しさいっぱいのパーティには参加すらできない。


聖書では「荒野」の場面が重要な意味を持っています。
木も草も生えない殺伐とした場所。
誰もいない孤独な場所。
しかし原文のヘブライ語で「荒野」は「神の声を聞く場所」という意味を含んでいます。
荒野のような境遇こそが、神と一対一で出会う場所でもあります。


おそらくキリストが招きたい人は、実はそんな境遇の人たちなのではないか。
聖書からはそんな語りかけを感じます。


華やかなパーティに参加できない人たちに届いて行くにはどうしたらよいのだろう? と、考えさせられたクリスマスでした。