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夏のイベント

児童養護施設に研修に行ったことがあるが、この時期になると施設の夏のイベントの招待状が来るので、今年も参加。


ステージの上で小さい子から大きい子まで、さまざまな出し物をする。


神は人それぞれにいろんなタラント(賜物・能力)を与えているというのが聖書の立場だが、施設のイベントに行くと本当にいろんな賜物を持った子がいると感じる。


司会が上手な子や、ダンスが上手な子。ゲームで指名されなかったけれど、イベント終了後に最高点を出してしまう子。


去年まで少しふれくされていた子がイキイキとしているなと思ったら、今は部活で活躍をしているという。
その子の特性を見抜いた先生が、通常はやらない競技に参加させたところ、メキメキと頭角を現し始め、今はすごいのだという。ハツラツとしたオーラが出ていた。


逆にケースもあった。
昨年はイベントで活躍していたのだが、姿が見えない子がいたので尋ねると、高校に進学したのだが、どこかでつまづいてしまい不登校となり、今は引きこもっているという。


いろいろなものを感じた。


親というインフラがない状況で、数年後には社会に投げ出されてしまう。


自分の特性を自分で探し出し、社会に対してアピールできるかどうかは本当に死活問題で、その切迫した空気を感じさせる子もいた。



イベントを見ながら、こういう子たちと共に歩んで行くことになるのかなと感じていたが、家に帰ってから話すと、妻も同じことを感じていたという。


それぞれの賜物を見つけ出して歩んで行ってほしい。
そこに並走して手伝うことができればと思う。