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聖書の中の男の子2

ウチの子は寝るのがキライだ。
だからいつもベッドの上であばれている。


そんな時に静かな声で「お話し」をしてあげると、聞き始めて、いつの間にか寝ている。
最近は聖書の「お話し」をするようにしている。
先日、少年・ダビデの話しをした。

ダビデは巨人・ゴリアテと戦った
そして石ころだけでゴリアテに勝った

今までもダビデの話しは何度かしているので、こんな感じのことは知っている。

この日はもう少し踏み込んで話した。


巨人の脅し

昔、イスラエルペリシテ人の間にいくさがあった。
その時、ペリシテ人の中にゴリアテという巨人がいた。身長は2.9メートル。

このゴリアテが、イスラエル陣営に向かってこう叫んだ。


「ひとりを選んでおれと一騎打ちせよ。おれを殺せたらお前らの奴隷になる。おれが勝ったらお前らが奴隷になれ。イスラエルの陣をなぶってやる。」


イスラエルの陣営は巨人の恫喝をとても恐れた。
ゴリアテはこの脅しを毎日二回、朝と夕方に出てきて、40日も続けたと書かれています。



言い換えれば、イスラエルはこの恫喝と蔑みを40日間、回数にすると80回。まじめに聞き続けたということです。
否定的な言葉を心の中に受入れ、それを「本当のこと」と錯覚するほどまでになりました。
イスラエル人はゴリアテから逃げて、とても恐れていました。


荒野から来たダビデ

ところがゴリアテの言葉を一切聞いていない若者がいました。


ダビデです。


ダビデは戦場にいませんでした。
ダビデは羊飼い。だから荒野で羊の世話をしていました。


ある時、父・エッサイの使いとして、イスラエルの野営地にいる兄たちに品物を届けに行きました。
兄たちと話しているその時、巨人・ゴリアテが出てきていつもの恫喝を始めました。
それをダビデの口から出た言葉は、


『生ける神の陣をなぶるとは、何者か。』


ゴリアテに勝負を挑もうとするダビデを止めたのは、意外にも身内の兄でした。
ダビデをうぬぼれ屋扱いします。


ダビデの戦う意志を聞いた人々が、イスラエルの王・サウルに伝え、ダビデはサウル王に呼ばれます。
しかし、まだ若いダビデを見て、サウルも「あなたはゴリアテと戦うことはできない。」と諫めます。


獅子から助け出した神は・・・

しかし、諦めないダビデ


自分は羊の群れを飼っています。時に獅子や熊が来て羊を取っていきます。
その時は追いかけ獅子や熊を打倒して取り戻します。
自分は獅子や熊を倒したことがあります。あの巨人も獣の一匹のようになるでしょう。
生ける神の陣をなぶったのですから
獅子や熊から私を助け出した神は、あの巨人からも私を助け出して下さいます。

この言葉を聞いたサウルは少年・ダビデを戦場に送り出しました。


サウルは自分の鎧兜をダビデにつけさせ、剣を渡すが、慣れていないのでうまく歩けない。
ダビデはそれを脱ぎ、杖を手に取った。
それから石を5つ拾って、羊飼いが使う投石袋に入れ、石投げを手にして巨人の前に立った。


ゴリアテは紅顔の美少年であるダビデを見て蔑んだとあります。

主役/勝因

ゴリアテと対峙したダビデが語ったことは、「オレがお前を倒す」ではなく、「万軍の主である神が・・・・」と語った。ダビデの中での主役は「神」であった。


そして投石の一撃で、ダビデは巨人を沈めた。



どうやってこの不利な戦いに勝ったのか?


ダビデがライオンや熊との闘いをとおして訓練されていたという一面もあるし、
サウルが若者の進言を受入れ、ムリに鎧やら剣を持たせず、普段通りにやらせたという一面もある。


しかしそもそもイスラエルの陣営とダビデを比較した時、その違いは明白。
相手の蔑み、恫喝を受入れ信じたイスラエル。周囲の雑音に心を奪われてしまった。


しかしダビデは徹頭徹尾、神に心を向けていた。
ゴリアテの言葉は無意味だった。自分を「うぬぼれ屋」と否定する兄の言葉も受け入れず、「まだ若い」懐疑的な目で見るサウル王にも怯まなかった。
自分がどう見られているかではなく、ダビデの勝利宣言の主語は「神」であった。



ダビデは荒野からやってきた。


聖書の原文であるヘブル語で「荒野」には「神の声を聞く場所」と言った意味もある。
だから人には「荒野」が必要で、誰の声に耳を傾けているか、普段からよく注意する必要がある。


・・・と、子どもに話したところ、よく眠っていた。

5歳児には少し難しかったか。


少なくとも、自分が子どもの寝かしつけが上手なことは間違いなさそうです。