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読書感想文: たといそうでなくても/失格した殉教者の手記

ずっと手に入れたかった本です。
もう絶版で、2年位前にネットの古本屋で探したら8千円くらい。安くても5千円。
しかし油断してたらインターネット上から消滅してしまった。

ある日、ネット検索で神保町で3800円で売ってるのを発見。
速攻で昼休みに買ってきた。他の古本屋にもあったが7500円であった。



神が私たちを助け出す

実話であり、戦時中の女性クリスチャンの話です。タイトルは聖書のダニエル書の3章から。


もしあなたがたが、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときに、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよし。しかし、もし拝まないなら、あなたがたはただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう。」

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。

もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。

しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」


王が金の像を作り、それを伏し拝むようダニエル達に迫った場面である。
拝まなければ炉に投げ入れて殺すと。
それに対するダニエルの答えは、「神が私たちを助け出す。そうでなかったとしても、拝まない。」でした。


ここからこの本のタイトルがつけられた。


著者は朝鮮の人で、神社参拝強要に反対して日本の政治家を説得しようと、殉教覚悟でやってきた体験を書いている。


元・日本軍の中将にも会って相談したりしましたが、国会の議会聴講中に反対のビラをまいて、(まいたのは長老ですが)逮捕され、投獄、死刑判決。

獄中生活の記録を書いた本です。


読む前はいかにも迫害の記録みたいな感じで、けっこう陰惨な感じかもと思っていました。

中国でのクリスチャン迫害の記録「天国の人」みたいかなとイメージしていたが、ぜんぜん違う印象でした。


女性が書いたせいか、状況の記録というより情感の記述がすごく豊かで、神への信仰告白のようでもあります。

母国語ではないはずなのに文章もかなり上手で、日本人でもこんな文章書ける人、そんなにいるだろうかという感じ。
最初に日本語で書いて、それから韓国語に翻訳されました。


「イエス様がいかに生きておられ、信じる者たちをいかに愛されたか。」
獄中で主がいかに守り導いて下さったかの記録。

日本語もかなり上手だったのと、文章同様に人を引き付ける人柄も感じます。常に主の側に立つ信仰で、獄中でも看守を含めいろんな人達からの助けも与えられます。
過酷な状況の中でも主の介入があり、こんなこともあるのかという励ましがあります。


■希望の書

この本はいろいろな読まれ方をしているようです。
ある人には反戦の書、ある人には民族迫害の書として。


自分は「希望の書」として読みました。
住居を転々としながらバスや電車で逃げる場面は自分が犯罪被害に遭い、転々と逃げていた頃と重なり、感情移入して読みました。

もし自分が同じように追い込まれる状況になったとしても、そんな時こそ神は共にいて下さり、主の手が共にある限り、何が起きるか分からない。
過酷な状況であっても、主の側に立つことには、いつも希望があるというメッセージを残してくれた本です。


以下の言葉がとても印象に残っています。(155ページ)
死を以ってさぐる真理を、私はこの身を以って証明することになるのだ。信仰、信仰と、口と頭で理解するのではなく、この血や、肉や、骨や、五官や、魂や、全てを以ってぶつかって見るのだ。


信仰は読書というよりもむしろ、上の文章のような格闘に近い印象を抱いているのですが、気のせいでしょうか。