聖書の中には祈りは聞かれるという主旨の記述もある。
初めて読んだ時は成功哲学みたいな印象を受けた。
つまり自分の想念のような「祈り」が実現するという印象。
しかしクリスチャンになってから、この聖句の印象はだいぶ変わりました。
叶えられた祈りは、なぜか切実なものばかり。
自分の祈りが事態を打開したというよりも、
『切実に祈る様子を見た神が、憐れんで叶えてくれた。』という感覚が近いように思う。
個人的には聖書に出てくる 『突撃系?』(勝手に命名)の人たちの話しが好きだ。
いづれも「とにかく神に近付きたいっ!!」という切迫感というか必死さを持っていて、「立派な人」ではなかったかもしれないけれど、神は目を留めた。
偉人でなくとも、神は目を留めてくれるかもしれないという希望を感じて、この人たちの話しにはいつも慰められる。