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禁断の実

エデンの園でアダムとエバが食べた「善悪の知識の実」。

その実を食べただけで追放されるとはどういうことだろう?と最初は思っていました。

たったそれだけで追放って、ちょっと罪が重すぎないだろうか?



しかし最近はいくつか感じるところがあります。
「善悪の知識の実」とは、 「善悪をコントロールする知識」 を指しているのかな?という印象を個人的に受けています。


自分を正しい者・優れた者としたい。
他者の欠点を突き、貶めることにより自分を際立たせたい。
他者を悪者にして責めたい。


世の中で目にする光景ですが、これを実現するためには勝手に善悪を定めてしまえば、優劣がつけやすくなります。
そこで「自分に都合の良い善悪の基準」、「他者を責めやすい善悪の基準」を作り始めることがエデンの終焉かなと。


善悪自体は勿論存在するのですが「自分は正しい」は、「神は正しい」と本質的に相いれないに感じます。
どこから出た基準か?何を動機としているかを推し量るしかないのかもしれません。


エデンの園ではどの木からも自由に食べてよいことになっていました。
ただ一つだけ禁じられた木の実が「善悪の知識の実」。


一体どんな実なのだろうと思っていましたが、食べたこと自体が「自分は正しい」のスタートだったのかなと、最近感じます。


陥りやすい罠だけに、自戒を込めてその誘惑に囚われぬようにと願います。


力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。
いのちの泉はこれからわく。 (箴言4章23節)