自治会との出会いは最悪だった。
「自治会の夏祭り」というタイトルで書いたが、クリスチャンであることを理由に、夏祭りを断ったら自治会の役員の人に怒られてしまった。
今となってはそれも過去の話しに過ぎないが、当時は本当に自治会の会合がイヤだったし、このことについてものすごく祈った。
それ以降も、自治会での行事には「神事」と呼ばれるものがあって断っているのだが、今はもう「わかった。」で通るようになった。
町内の人との関係も以前よりも良くなっている。
怒鳴られた当初は予想もしなかった状況で、あの時、思い切ってクリスチャン宣言しておいてよかったと思う。
とは言うものの、今の状況は自分の力で実現したとは言い難い。
夏祭りの日、模擬店の後ろの水道が詰まった。
ここが詰まると洗い物ができなくなる。
そのため、排水溝に自分が腕を突っ込んでヘドロをかきだしていた。
ちょうどその時、たまたま自分を怒鳴りつけた役員さんがやってきたのだが、
「がんばってるね。」と喜んでいた。
当日は"たまたま"雨が降り、祭りは中止となった。
しかし生ものを扱っている自分の模擬店だけは、販売を継続し完売した。
「一人だけがんばった。」という印象を周囲の方が持ってくれたようだ。
いづれも「たまたま」の要素が強く、大したことはしてないはずなのに、周囲がそれを見て、よく思ってくれる状況が生まれた。
その結果、クリスチャンとしての立場も受け入れられるようになった。
主の御名を否まなければ、守られると感じた出来事だった。
当時は怒鳴り返したい気持ちもあったが、もしそうしていたら議論には勝っても、かえって混乱を招いただけで、こういう状況にはならなかったと思う。
度重なる「たまたま」に助けられた。「自分が・・・」というより、主役は神さまかなと感じる。
このことについてすごく祈ったことも思い出す。
「やばい。」と感じたことでも、祈ったことは予想以上の結果となる。
逆に「これくらいいけるでしょ。」と、祈らなかったことは大した結果になっていない。
今年も終わりに近づいている。
来年は何を祈ろうか?と考えている。