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ピリポさんたち

「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、
彼らを教えなさい。
見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」


キリスト教が全世界に広がるキッカケとなった「大宣教命令」の聖句です。

これによって、世界中にキリスト教が広まっていったと思っていたのですが・・・

実際に外国人に福音を述べ伝え始めたのはもうしばらく後。


この指示が出された後も、使徒たちはユダヤ人たちだけに福音を述べ伝えていたようで、外国人に福音を伝えるという発想はあまりなかったようです。


外国で福音を本格的に述べ伝え始めたのは、紀元70年の「エルサレム攻囲戦」でエルサレムが滅ぼされた頃のこと。

ユダヤ人がローマ人にエルサレムを追い出され、離散して大宣教命令が実行に移されます。


つまり外国へ行かざるを得ない状況になったという要素もありそうです。




神の計画

ピリポはサマリヤで福音を伝えました。

するとサマリヤに大リバイバルが起きて、町に大きな喜びが起こったとあります。


しかしサマリヤはユダヤ人が嫌っていた民族。
本来関わりたくもないはずなのですが、エルサレム崩壊によって、そんなことは言っていられない状況になったのでしょう。

そこで腐らずに誠実に福音を伝えたピリポの上に、リバイバルが起きました。そして福音が世界へ拡がっていきます。


この箇所を読む時、「外国へ逃げざるを得なくなった。」という他に、「神が使徒を外国へ遣わした。」という要素も見て取れます。


物質的な「神殿」と体制は崩壊し、敗北のようにも見えますが、「神の国」が世界中に拡大するキッカケは実はこの時期。


敗北のようだけれども、前進の始まりでもあるのです。


人の計画と、神の計画は全く違うのかもと感じた箇所です。



リバイバル

小さなリバイバルを目にする機会がありました。
小さな家庭集会を営んでいる群れで、試練と困難の中にありました。


細かい事情は自分にはわかりませんでしたが、ただならぬことが起きたことと、試練のショックはどれほどだろうと心配しました。


ところが、そのグループには活気があり、小さいながらも活動し群れを増やし続けていました。
今までやる気のなかったメンバーまで全力で神に仕えている姿に驚きました。


もしかしてこれがリバイバル? という状態。


この状況を見た時、ピリポの話しを思い出しました。


ピリポのように不本意な場所に追いやられている人がいたとしても、果たしてそれは敗退か?
後になってみれば、ピリポの時のように神の大きな計画の中を進んでいるということも、あるかもしれません。