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連鎖

連鎖1

定期的に児童養護施設を訪問していましたが、そこに住んでいるある中学生の女の子が、最近小さい子を無視したりいじめたりしているという話しを耳にした。


施設の心理士に相談したところ、こんな回答だったらしい。
「その子自身が幼い頃、母親からそんな風に扱われていた可能性が高い。」

「将来、結婚して子供が生まれた場合、同じことをしてしまうかもしれない。」


本人の意図するしないに関わらず、何かを引き継いでしまっているらしい。どこかで負の連鎖を断ち切らねばと感じた出来事でした。


連鎖2

以前、教会学校をやっていたのですが、自分自身はクリスチャンホームではなく、教会学校なるものに参加したことは一度もありませんでした。


だから当時、ちっとも聞いてない風の子供たちに紙芝居を読んだり、聖書のお話をしたり、一緒に歌ったり工作したりしながら、「こんなんで、役に立つのかな?」とよく思った。


あれから10年が過ぎ、子供を連れて久々に昔の教会に行きました。
子どもは小さいので礼拝中にじっとしているか心配でしたが、教会学校に連れて行ってもらい、楽しく遊んでもらったようです。


教会学校で遊んでくれたのは、10年前小学生だったお姉さんたち。今は高校生や大学生になっていました。


10年前は予想もしなかった光景を見て、当時の教会学校も役に立っていたかもと、少し報われた気持ちに。
こんな風にバトンを渡していくのだなと思うと同時に、いづれ自分の子も世話をしてあげる側になればと、淡い期待を抱きました。


連鎖3

先日書きましたが、こども食堂を手伝うことになりました。


スタッフのクリスチャン率が高い食堂ですが、教会で実施しているわけではありません。


リーダーもクリスチャンですが動員能力の高い人なので、クリスチャンも、地域の人も、自治体の人も、いろんな人を巻き込みながら進んでいます。


最近は、市内の教会の人たちが見学にくるようになりました。
教団・教派を超えて、それぞれ別々ではあるけれど、一つの流れができていく気がして、将来が楽しみです。


できれば市内の教会全体がいい流れになり、こども食堂のはしごができるレベルまでなればなぁと、思う。
居場所がなくて今まで繁華街にたむろしていたような子が、なんとなく渡り歩けるような仕組み。


10年後、どんな風になっているかと想像しつつ、いい連鎖になればと種まきを続けていきます。