小さい子と接する機会が増えた。
ウチの子(幼稚園児)よりもっと小さい子で、ウチの子が「お兄ちゃん」的な立場になる。
だから自分を抑えて譲ったりすることも増えて、幼いながらも葛藤しているようです。
「小さい子にやさしくすることはすごくいいことだよ」
と教えても、やはり釈然としないようでした。
子どもの日でもあるし、聖書にはこのことについて、どんな風に書いてあるか、ひも解いてみることにしました。
気になった箇所はまず「ルカによる福音書 9:48」
彼らに言われた。「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れる者です。あなたがたすべての中で一番小さい者が一番偉いのです。」
それから以下の箇所も。「マタイによる福音書 25:40」
すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
ルカの福音書の箇所は「誰が一番偉いか?」と、互いにマウンティング論議ばかりしていた弟子たちに対しての言葉でした。
人間は今も昔もあまり変わらず、弟子たちですらこんな性質を持っていたようです。
イエスの結論は「小さい子が一番偉い」でした。そして以下の重要性も書かれています。
イエスのために小さい子を受け入れること = イエスを受け入れること
イエスを受け入れること = 天の父なる神を受け入れること
神の論点は弟子たちというか、人間目線とは全く違うようです。
そしてマタイの福音書にある通り、小さい子にしたことは、実はイエス様にしたこと。
今持っているもの、おもちゃとかいろいろなものは全部神さまから預かっているもので、どんな風に使うか、神さまは見ているということ。
今回したことを、きっと神さまは喜んでいることを話した。(ルカの福音書19:12~)
今はわからないかもしれないけど、天に帰った時に喜ばれる。
そう伝えると、「おれはいろいろなおもちゃを貸してあげた」とか、「抱っこしてあげた」ことを誇らしげに語ってくれました。
話しが弾むと、「〇〇ちゃんがいると幸せだね」という一面に気づいてくれたようです。