雨の季節だ。
ウチの子は雨がやんでほしい時、テルテル坊主を作るのではなくて叫ぶ。
先日、幼稚園で親子一緒に遠足に行く機会がありました。
最初は晴れていたのですが、次第に雲行きが怪しくなり、風も強くなり、雨がポツポツと降ってきました。
すると、ウチの子が大声で叫び始めた。
あめよやめーー!!
イエスさまー! あめがやむようにしてくださーい
イエスさまのおなまえでいのりまーす
アーメーン!!!
叫ぶようになったのは、聖書にそんな箇所があるからだ。
イエスがガリラヤ湖で弟子たちと舟に乗っていた時に、嵐がきた。
舟は沈みそうになりましたが、イエスはぐっすり眠っていた。
弟子たちはイエスを起こし、助けを求めたところ、イエスは嵐を叱りつけ、凪になった。
ウチの子はこの話しが好きなので、「あらしよしずまれー!!」と叫びます。
お父さんびっくりです。
聖書の話しを覚えていてくれたことは嬉しかったです。
しかし幼稚園の親御さんたちの手前、一瞬恥ずかしいと思ってしった自分がいることに気づきました。
「周囲にどう思われるか」に意識が行ってしまったかもしれません。
また根底に「そんなことが起きるわけない」という先入観があったのかもしれません。
この話しを教えたのは自分なのですけど。
この日、雨はやみました。
先進国・先入観
聖書には病の癒しの話しがよく出てくるが、癒しに関しては、南米とかアフリカとかの発展途上国の方が顕著に現れやすいと聞いたことがある。
彼らは聖書をそのまま受け入れるからではないかと解説されていた気がするが、確かにそういう部分もあるかもしれない。
聖書の中でも、イエスが故郷を訪れた時には、癒しや奇跡が殆ど起きなかった。
イエスさまはもともと大工の子。
地元の人は「この男にそんなことができるはずがない」という先入観を持っていたであろう。
先入観が信仰を上回った。
先進国も、信仰よりも常識の方が優先されるのか、癒しは起きにくいようだ。
薬もあるし、別に祈る必要もない。だから祈りで癒された姿も目にすることもない。
日本国内でも、祈って癒されたのを見たこともありますが、その方は生活困窮者で医者に行くことができない方でした。
聖書の中の人たちや発展途上国の方のように、医療を受けられない状況で、本気で癒しを願って教会にやってきた方でした。
クリスチャンなのに「聖書に書いてあることって本当に起きるのか!」と、改めて思わされた出来事でした。
同じように、子どもは先入観なく受け入れている。
別の日、母親と一緒にいた日も同じことをしたようだ。
サッカー教室があるのに朝から雨が降りだった。
祈りが届いたのか、それとも偶然か。
結果的に雨はやみました。
せっかく信じているのに、教えた側がブレーキをかけていないだろうか?
「大人の常識」で子どもと神さまの関係を壊さないよう、しばらくそっと委ねておくことにしました。