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おもちゃと「くびき」

休日になると部屋はおもちゃだらけである。

かたづけるように行っても、すぐにはかたづけない。

先日、教育に関する講演を聞いた。こういう時は一緒にやろうと促したり、ゲーム感覚でやるのがいいようだ。

「一緒にかたづけよう。」というと、素直に応じてくれた。
確かに教育学者の言う通りのようだ。


おもちゃをケースにいっぱい詰めて、二階へ運ぶ。

しかし、おもちゃがあまりにも多い。これは子どもが一人で運ぶのはムリだなと感じた。

「お父さんも持ってあげる」とケースの後ろ側の取っ手を持って二人で階段を登った。

途中で階段につまづき転がり落ちそうなほど重いので、見た目は二人で運んでいるが、実際は自分が後ろ側で殆ど持ち上げていて、子どもは取っ手をつかんでいるだけような状態だった。


そうして二人で階段を登っていると、「聖書の”くびき”ってこういうことか?」と、頭に浮かんできた。


「くびき」とは二頭の牛が首の部分を木で繋ぎ、一緒に歩きながら畑を耕していくこと。


見たことはないが、聖書に出てくる。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
<マタイの福音書11章29節~30節>


この聖句について、長年、疑問に感じていたことがある。それは、

「キリストのくびきは本当に軽いのか?」

「実は結構厳しいのではないのか?」

しかし二人で階段を登りながら、こういうことかと腑に落ちた。

子どもが持てないものまで、持たせようとは思わない。
ただ、自分でやろうとか、言うことを聞こうと行動を起こしてくれたことが嬉しい。

そう思いながら、おもちゃのケースの重荷をほとんど一人で担いつつ、一緒に登った。


神と共に歩む時、同じように殆どの重さを担ってくれるということなのだろう。