子どもに「山上の垂訓」のお話しをしている。
もしも聖書を知らない人に勧めるとすれば、まずは「四つの福音書」からである。
福音書にはイエス様が直接発言した言葉が載っているからである。
その人がもしどうしても読む時間がないとなったら、福音書の中の「山上の垂訓」を薦めるかもしれない。
エッセンスが詰まった箇所である。マタイの福音書5章~7章に記載されている。
山上の垂訓を読んでいると、なかなかにハードルが高い。
その中でも「神の子ども」という記述に目が留まった。
複数の記載があったが、「神の子ども」という最高称号を得るには、共通点があるようだ。
まず一か所目はマタイの福音書5章9節
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
2か所目はマタイの福音書5章43~45節
『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。
いづれも「平和ではない」とか、「敵がいる」という前提の言葉です。
昔からそんな状況が発生しやすいのでしょう。
平和をつくるということはそれだけ困難であり、実現の暁には「神の子ども」と呼ばれるに値する価値があるのでしょう。
複数の箇所に、似たニュアンスが記載されいてるのを見ると、神はここに重きを置いているというメッセージが伝わってくる箇所でもあります。