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テレビなし=幸い?

妻がテレビのアンテナケーブルを抜いた。


息子はテレビが大好きで、暇さへあればいつもテレビを見ていた。

できることならあまり見て欲しくないし、時間を決めて見せるようにしたい。

けれどだんだん知恵がついて、あれこれ言い訳しては長時間テレビを見たり、ダメと言われても言う事を聞かなくなってきた。


小さい頃はテレビのスイッチを切ってしまえばよかった。
しかし自分でスイッチを入れる事ができるようになった。


それがダメならと、コンセントを抜くことにした。
しばらくはどうしようもなかったが、そのうち自分でコンセントを入れられるようになった。


ある日、夕食の時間になってもテレビを見ていて、ちっとも食べる気がなかったので、妻が問いかけた。
「今、ご飯を食べるなら、後でテレビを見てもいいよ。でもこのままテレビばかりみるなら、もうずっとテレビは見ないようにするよ。」
すると息子は、買い言葉でなのか、
「もうずっとテレビが見れなくなってもいい。」と答えたようだ。


そして妻はアンテナケーブルを撤去してしまった。


一か月前の話である。


テレビが全くない生活。

どうやって過ごすのだろうと思っていたが、子供なりに工夫して過ごしたようだ。

・絵を描く
・自分で空き箱でおもちゃを作る。(これは前からよくやっていた)
・ママとトランプ

少しかわいそうにも思って、会社の帰りに本をお土産に買って帰ったりした。
まだ幼稚園だが「小学生」という雑誌を買って帰ったり、小学生向けの本を買って帰ると、自分が「お兄さん」になった気持ちになるのか喜んでいた。

テレビのない時間は長い。
持て余す時間には本を読んだり、字のドリルをやったり、ピアノの練習もするようになった。


あれから一か月。

妻が「急にピアノが上手になった」と言い出した。
もともとピアノは上手だったのだが、ちっとも練習しなかったので、発表になるとグダグダだったのだが、最近はよく練習するので、教室の中でも抜きんでて上手になったのだという。

気づくと計算もできるようになっていた。

字は少し漢字まで書けるようになっていて、壁には「たしざんポスター」なるものが貼ってあり、計算も少しできるようになった。

幼稚園でもピアノを披露する機会があり、みんなから「クラスで一番上手」を言われ、本人も上機嫌になって幼稚園がさらに楽しくなったようだ。


一か月間は大変だったかもしれないけれど、結果、状況は良くなった。


聖書には試練のお話しが多い。奴隷にされたり、ライオンの穴に投げ込まれたり。

神がその人を育て導くものであり、最終的には主の御手によって祝福に導かれる。



子どももこれからもそんな体験を沢山することだろう。
一般社会で言うところの「不幸」は試練であって、幸いへと繋がる。

テレビを失ったことで、得たものは多かったのかもしれないと思う。