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在宅で子供に読み聞かせ

リモートワークでしかできないこと

土日はこどもに絵本の読み聞かせをしていたが、リモートワークになって平日も子供と過ごす時間が増えた。

こんな機会はまたとない。
せっかくなので毎晩読み聞かせをすることにした。


「ああ無情」を購入

とは言うものの、不要不急の外出は避けたい。

Google play store で子供用の「レ・ミゼラブル」を探す。

play.google.com


今回は初めて電子書籍で購入してみました。
こんな名作がたったの330円で手に入るのは驚きだ。

play storeにしたのは、外出禁止になってから映画をすぐに見ることができるようにと、予めplay store用のプリペイドカードで3000円分のポイントを入れておいたためだ。

人と接することなく、即座に本や映画が手に入るのは確かに便利。


「ああ無情」はレ・ミゼラブルの小学生版でした。
昔読んで楽しかった記憶があるので、選んでみた。


ウチの子の反応は果たしてどうか?


銀の燭台

刑務所から出てきたジャン・バルジャンを誰も宿に泊めてくれないオープニング。

お金はあるのにどこへ行っても門前払い。
世間の冷たさは子供にとって衝撃的だったようだ。


仕方なく野宿していた時に紹介された牧師の家(この本では「牧師」となっていたが、原書ではミリエル司教)で、受け入れてもらい温かいもてなしを受けたにも関わらず、高価な銀の食器を盗んでしまう。翌朝、そのことに気付いた牧師の言葉がよかった。

あの銀の食器はわたしのものと言えるだろうか? そうじゃあるまい。あれは貧しい人たちのものだ。あの男が貧しかったら、あの男のものなのだ。


さらに巡査にとらえられ、牧師宅へ連れてこられたジャン・バルジャン
窃盗の事実を知っていながらも牧師は友人のように振る舞い、銀の燭台を忘れていったとさらにプレゼントする有名な場面。聖書の「山上の垂訓」そのもの。

あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。
(マタイの福音書5章40節)


山上の垂訓は現代の常識と照らし合わせるならば、無茶ぶりにも見える。

神の働きには痛みや犠牲も伴うこともあるが、もしも従うならば罪びとの心に触れて下さるという単純な事実を思い起こさせてくれた。
この本に出てきた牧師は多くを語らなかったが、行動で神をつたえたのかなと思う。
罪びとのために犠牲を払う内容は、神が人間にされたことそのもの。


読みながら、自分は犠牲を払うことができるだろうか?と自問した。

会社員として暮らしていると、「得ることが益」という錯覚に流されそうになるが、
「与えること」が神の国のキーであることを思い出した。

・寄るべのない者に施しをするのは、【主】に貸すことだ。主がその善行に報いてくださる

・このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、
 また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』
 と言われたみことばを思い出すべきことを、
 私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。



普段は仮面ライダーの本や、ポケモン図鑑ドラえもんなどを読んでいる息子には、どう映ったのだろう?

「今日はここまでにする?」と声をかけながら読んだが、「もっと」という意外な反応で、結局70ページまで一一気に読み進んだ。

どうやら響くものがあったようだ。