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とりなしの祈り

春休みに韓国旅行をすることになった。
訪問先は釜山。

日曜日が入るため、韓国の教会に行ってみることにした。
ただ礼拝に出席するのは久しぶり。久々にのんびりできると思ったが、そうはいかなかった。


韓国の教会を訪問する前日に妻が韓国の知り合いに連絡をしたところ、明日は礼拝の際に時間を取るので日本宣教について語って欲しいと言われたというのだ。(滝汗)

韓国語も話せないし、メッセージは日本語の通訳でも聞いて、ただ参加して終わりにしようと高を括っていたが甘かった。
まさか講壇に立たされるとは。

こんな事態は予想もしていなかったので、ジャケットも持ってきていない。持って来ようか悩んだが、教会に行くと言ってもただ座っているだけだからと寝巻のようなパーカー一枚しか持ってきていない。

さすがにまずいと感じた妻が、「日本の教会の紹介だけにさせてほしい」と伝え、「日本宣教について」というすごいタイトルの説教はせずに済んだ。

しかし、クリスチャンとしては感じるものがないわけではない。

偶然のように見えても、神には計画がある。もしこれがそうだとするならば、この役割をないがしろにするわけにはいかない。

この時点で土曜日の20時。

さて明日、韓国の教会で何を話そうか?

どうせ使うこともないだろうと思いつつ持ってきたパソコンを取り出す。韓国用のコンセントを買ってきて良かった。祈りつつ話す内容をまとめ始めた。


とりなし

教会に通い始めたころ、まだクリスチャンになっていなかったが、興味深い証しを聞いた。

それは禁煙にまつわる証しだった。

ある女性が講壇に立ち、自分が悩んでいたことを話してくれた。
それは教会に通いながらもなかなかタバコがやめられなかったということ。祈っても努力してもすぐ挫折してしまい、なかなか禁煙できない。
何度チャレンジしても失敗し、もはや諦めていたある日、ふと「禁煙してみよう」と思ったと言う。

そしてチャンレジしてみると、その時はアッサリ禁煙できてしまったというのだ。
嬉しさのあまり友達に電話し「自分は禁煙で来た。私も大したものでしょう。」と自慢したのだが、その時の友達の答えに絶句したという。

私はその頃、あなたが禁煙できるように断食して祈っていた。


自分の力だと思っていたがそうではなかった。今まで何度も失敗していたのが突然アッサリできてしまった理由がわかったと言っていた。

そして、「誰かの為に祈るとりなしの祈りには特別な力がある。とりなしの祈りは神に聞かれると信じています。」という言葉は、未信者だった自分の心にも残った。


明日、韓国の教会で何を話そうか? 
祈った時に心に浮かんだのは、20年前に聞いた「とりなしの祈り」の証し。
ただ自分達の教会の働きを紹介し、とりなしの祈りをお願いしようと方向性ができた。


翌日、タクシーで訪問した韓国の教会は小さな教会だった。
小柄な韓国の牧師さんが迎えてくれて、日本の教会の所属教団や方向性、働きなどについて質問されたので、説明した。

説教の後に話をしてほしいというので、わかりましたと承諾して礼拝に参加したが、3歳の次男が教会のトイレを水浸しにしてしまってその始末をしたり、心休まることがないまま説教の時間も終わり、前に招かれた。

教会によっては牧師以外が講壇に立つことは許されないため、講壇の手前で話そうとしたが、講壇に立って話すよう促された。
牧師さんは当然ビシっとしたスーツなのに、こんなパジャマみたいなパーカーを着たどこの馬の骨かもわからないような日本人が講壇に立ってもよいのでしょうかと思いつつ、これも導きと信じて話すべきことを話した。

自分たちの教会の働きのこと。自分は教会に仕えてはいるが、普段サラリーマンをしていて、朝は5時半に家を出て、夜の帰りは23時以降だということ。
教会が大事にしている御言葉はマタイの福音書25章40節 だということ。そして何よりも、とりなし祈ってほしいということ。

講壇から見る教会は新鮮だった。
こまめに頷いてくれていて、多くの人が好意的に受け入れてくれていることが伝わって来た。

実は韓国のクリスチャンの教勢は落ちているようで、若者の教会離れがひどいようだ。
昔は考えられなかったのだが、働きながら開拓している牧師も出てきているらしい。
自分が働きながら仕えていると、ありのままを話したことも共感を得たらしい。
誰か一人でも励ますことができればと思ったが、来てよかったと思った。

但し、今後は人の教会に来るときは必ずジャケット着用で来ようと心に決めた。


礼拝後、牧師さんがやってきて、日本の宣教教会として連携していきたいと申し出を受けた。
互いに小さな教会で、何をするでもないかもしれないが、とりなしの祈りをお願いしたいと伝えた。


日本に帰国して日常に戻った。
現実にはさまざまな問題が山積していて、そのうちの一つが悪化した。

自分でどうこうできる問題でもないため祈っていたが、ある人からもたらされた情報をキッカケに事が大きく動いた。

1年半以上悩まされた問題に一気に解決の糸口が見えてきた。自分もなかなか大胆に動けたのではないかと思っていたが、時期を振り返ってみる。


もしかすると誰かの断食が天に届いたのかもしれない。

こちらもとりなしの祈りを大事にしていきたいと思う。