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求めなさい。そうすれば


求めなさい。そうすれば与えられます。
捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
マタイの福音書 7章 7節


「神は愛である。」

という表現があるが、実はクリスチャンになってからも「きっとそうなんだ」としか思ってしまおらず、あまり実感がなかった。



信じて間もない頃、教会で出会った人の話しを聞いて、少し衝撃を受けた。
その人の話しを聞いていると、本当に神に愛されていると実感している様子がひしひしと伝わってきたからだ。
自分はというと、神を信じてはいるものの、「神は愛である」という点については、知識として知っているだけ。「自分は神から愛されている。」という強烈な実感などなかったので、その人を羨ましく思った。



ある日、教会の金曜礼拝で証しをすることになった。
小さい教会なので、何度も証しをしている。メンバーも同じ。だからあまり話すことがなかったので、自分の信仰の目標?について話した。先の「神は愛なり」について。


神は愛であるという言葉があるが、自分は神に愛されているという実感があまりない。
だから、神に愛されているとハッキリとわかるようになりたい。


・・・、とかそんな内容を前に出て話したと思う。10年以上前のことである。



2週間後、アメリカから牧師がやってきた。この方は預言の賜物があるという。
一人ずつ全員に預言をしたのだが、通訳がいて順番に語られる。前の人達の内容もよく聞こえた。
「神はあなたに賜物を与えているのだが、大胆さが足りない。」とか、
「あなたは祝福された器。」とか・・・。


期待半分、怖いもの見たさ半分で並んでいたが、裁きの預言をされたらショックである。
そして自分の番になった。


「神はまずあなたに言いたいことがあると言っている。」と言われた。そして



「わたしはあなたを愛していると神は言っている。」



・・・と、通訳の口から語られた。
その他、当時抱えていた自分しか知らない問題についても答えが語られた。


「神はあなたを愛している」という表現自体は、教会でよく使われる表現であり、珍しい物ではないのだが、この日に自分の前後の人でこのフレーズを語られた人はいなかった。



もっと早く求めておけばよかったとも思う。2週間で問題は解決した。



求めたことに対しての応答はちゃんとあって、神は誠実な方という印象を抱いている。
信じ始めた頃は、断食をして求めることもしばしばであった。


そういえば最近はそんな機会も減っているかも・・と、少し反省。