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311の日の出来事

大震災の時は都心にいた。
徒歩での帰り道。8kmほど歩いたところで、ふくらはぎが攣ってしまい歩けなくなった。

ちょうど大きな幹線道路が交わる分岐路だった。



直進すれば自宅への最短距離。

当時は、もしかすると電車が復旧するかもという期待を持っていた。

だからそのまま直進ルートで帰るのが最も正しい選択のように思われた。


しかし、妻の職場に寄って帰るルートも思い浮かんだ。

かなり遠回りすることになる。妻の職場まで10kmはある。こちらを選んだらおそらく今日中に帰宅することはできないだろう。帰宅難民確定のルート。


どちらのルートで帰るか?
この選択で、後々大きな違いが出そう気がしたので、立ち止まり祈った。



普段なら変な人と思われそうだが、そもそも周囲を見てる余裕のある人などいなかったように思う。
どちらのルートを選択するべきか、真剣に神に尋ね求めた。


しばらく祈っていると、瞼の裏に文字が見えた気がした。
見えたのは地名で、遠回りのルートの方だった。


自分の思い込みだと困るので、気持ちをリセットしてもう一度深く祈った。
同じ文字がフラッシュして出て来た。何度やっても同じ結果で、これが神からの答えだろうと受け止めた。


論理的な選択ではないと思う。


しかしいづれの選択も苦労する可能性はある。

うまくいかないにしても自分の考えに従って失敗するより、神に従って失敗した方がいいという結論に至った。

自分に従えば後悔することになるだろう。

神に従えば苦労しても御心かもしれないし、神の指針をキャッチできなかった自分を悔い改めればいい。


後者を選択することにした。


幹線道路を右折し、自宅とは別の方向へ歩き始める。


日没が近い。
気温が急激に落ちる前にできるだけ遠くまで行きたい。


足を引き摺りながら、300メートルくらい歩くとドン・キホーテ


ドン・キホーテの店頭には自転車が売られているのが見えた。


目の前が明るくなった。これで帰れる。

神の導きの方が正しかったようだ。



折り畳み自転車が1万5千円。その場で買って防犯登録をしていると、後ろには自転車を買う人たちの行列が出来ていた。


自転車に乗って妻の職場に向かう。すぐに辺りは真っ暗になった。


道に迷いながら2時間後、妻の職場に到着。

この職場は何度か来たことがあるので、職員の人たちを知っている。
入口であいさつをすると、職員用の休憩室に案内され、そこでカンパンを貰って一緒に食べる。しばし人の輪の中で和んだ。


10分後。


妻の同僚の方のご主人が車で迎えに来た。
自分の家の方面へ行くので乗せてくれるという。


なんというタイミング。

結果的に無事その日のうちに帰宅できた。



職場から自宅まで40km以上。

足は攣っていて、しかも遠回りを選択した。


もしあの時、遠回りをせず直進していたら一体どうなっていたのだろうか?

結果的に電車も動かなかったし、途中で歩けなくなっていただろう。


方向転換をしてすぐにドン・キホーテを見つけたこと。
店頭に自転車があったこと。
職場に到着してすぐ車に乗せてもらったこと。


聖書の言葉を思い出す。


人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。


家に帰ると、部屋の中は何も変わっていなかった。
その日のうちに帰るのは無理だと思っていたが、いろいろなことが重なり無事家に帰ることができた。


無事帰れてよかったのだが、それよりも神が近くにいて下さって、自分の祈りに応えて下さったことの方が嬉しく感じた。
困難な中にも神を感じた一日であった。