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時にかなって美しい

求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。
マタイの福音書7章7節

年末くらいから忙しい日々が続いています。フツーに過労死ライン超え。

忙しいこと自体はいいのですが、一番気になるのは、子どもと過ごす時間が減ってしまったこと。

今までは週に一度は定時で帰るように心がけて、子どもと過ごす時間を少しでも取ろうとしていました。



ところが、



今は夜中の12時帰りは当たり前。場合によっては泊まったり(ホテルに)。子どもと過ごす時間がなくなって来ました。

ママは家事で忙しいし、子どもが大きくなった時、
「自分は小さい頃、いつも一人で寂しかった。」とは絶対に言わせたくありません。

さてこんな時は一体、どうすればいいのでしょうか?



どうしたらいいかわからないので、神に祈ってみました。



「子どもが寂しい思いをすることがありませんように」
切実な思いで祈り続けたところ、状況に変化が。


職場で変化が起きて残業がグッと減ってきました。


・・・と、言いたい所ですが、全然そうではありませんでした。残業は増えています。


そうではなくて、子どもと遊んでくれる人が現れました。
事情があって、ある女の子が暫くウチに住むことに。


そう来ましたか。
まさかの展開です。


子どもは毎日遊んでくれるお姉ちゃんが出来て、すごく嬉しいみたいです。奥さんとも仲良くやっています。
もしかしてパパと遊ぶよりも楽しいのかも。パパは少し悔しいけれど、楽しそうにしている姿はやはり嬉しいです。


「神は決して期待を裏切らない。しかし予想は裏切る。」
と言ってた人がいましたが、ホントにそうかもしれません。


子どもにとって早くても8時帰りだったパパよりも、もっと早い時間に帰って来て一緒に遊んでくれるお姉ちゃんの方が嬉しいのでしょう。
これがベストかもしれません。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
と聖書にあるけれど、まさにこのことかと感じました。(伝道者の書 3章11節)


思いもよらぬ助け手が現れたことも嬉しかったですが、何よりも「神が共におられる」という感覚が与えられることがクリスチャンの醍醐味ではないかと、個人的に思う時があります。一番は天の御国に帰れることですけど。


ではパパは子どもたちのために、仕事に励みなさいという導きなのでしょうか?
技術者である前に、「一家を支えるお父さん」という職務に励みなさいということかもしれません。

さらにもう少し祈ってみることにします。


あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与える
でしょう。
また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。
してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を
与えることを知っているのです。
とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者
たちに良いものを下さらないことがありましょう。
マタイの福音書7章9~11節