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駅前ビル

久々に駅前のビルに行った。

初めてこのビルを訪れたのは20年ほど前だったか。
大きな吹き抜けや、ガラス張りのエレベータがとてもおしゃれに見えて、この街の中心はここだなと感じた。

当時クリスチャンになりたてだった自分にとって、普段目にすることのない世間の華やかな雰囲気やライフスタイルは、憧れのようなものを感じさせられたのも事実だ。


ところが今日久々に入ったが、どこか印象が違った。

衰退

よく見るとテナントに空きが出始めている。
若い人はいるにはいるのだが、高校生や大学生が多い。しかし若い夫婦や家族連れがいない。
あまり栄えている感じがしない。


数年前、郊外に大型ショッピングモールができた。
そこは行くたびにいつも混んでいる。広大な敷地に大きな駐車場があり、車で賑わっている。

家族連れも多く、年齢層も幅が広い。フードコートは空席を探すのも大変だ。

立地的に町の中心ではないが、繁栄の中心はこちらに移っているのは明らかだった。

家族がいて、車を持っていて、経済力と購買力のある層はこちらに来ている感じがした。

対して、駅前のビルは基本的に「ファッションビル」である。
カジュアルなおしゃれを楽しむ独身がターゲットだったが、その層の人口が減っているのか、客入りも少ないし、学生が多く購買力が高いかどうかは疑わしい。

郊外のショッピングモールがおもちゃ屋、スーパー、ユニクロスポーツ用品店、カフェ、レストラン等、幅広い店舗が入っている。価格帯は学生が帰る安いものから、10万円を超えるアウトドア製品まで多様だ。客の年齢層も広い。

対して、駅前ビルはファッションに特化。
しかし以前感じたような華やかさは感じなかった。

「20年前の華やかさ」らしきものが、そのまま時代に取り残されてそこにあるような寂しさを感じた。


ビジネスマンとして

二つのことを感じた。一つはビジネスマンとして感じたことだ。
過去の成功をそのまま継続させようとすることはとても危険なことなのだと学ばされた気がした。


人口の層が変化たせいか、「おしゃれな独身層」は購買力のある層ではなくなってきているのかもしれない。
「おしゃれな駅前ビル」として存続しつづけようとすることが、実は一番危険なことのように見えた。


過去の成功を破壊して、新しいものを目指さないことのリスキーさを見せつけられた気持ちだ。


クリスチャンとして

もう一つは、クリスチャンとして感じたこと。

世のものに心を奪われてはいけないと聖書にはある。
20年前、駅前ビルの華やかさに惹かれるものを感じたが、その末路を見た気がした。

当時は価値あるもののように映ったが、果たして根拠があったのだろうか。

今は郊外のショッピングモールが華やかに映る。

20年後はどう感じるだろうか?
「目の欲」に心奪われるべきではないというのは真実だと感じた。

世の中には素晴らしい雰囲気で、心を奪うものも多い。しかしそれを第一としてはならないのだなと肝に命じた。


世も世にあるものも、愛してはいけません。
世を愛する人がいれば、御父への愛はその人の内にありません。
なぜなら、すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活のおごりは、
御父から出ないで、世から出るからです。
世も世にある欲も、過ぎ去って行きます。しかし、神の御心を行う人
は永遠に生き続けます。
第1ヨハネ2:15-17