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バルテマイのように

随分前のことではあるが、クリスチャンになりたての頃、ある人と知り合った。

その人は会社の創業者。社会的な地位のある人のように見えました。


当時の自分はキリスト教徒は全員貧乏だと思っていたので、(←偏見)



「クリスチャンに貧乏じゃない人もいるんだ・・・」


という変な衝撃を受けました。


元アル中・自殺未遂

クリスチャンは「証し」という話しをします。
なんで神を信じるようになったかとか。自己紹介のようでもありますが、話しの中に神さまが登場します。

信仰の初期にこの方の証しを聞く機会がありました。
炊き出しにの時に、生活困窮者に向かってこの会長さんが証しをしたのですが、それを聞きました。



一体どんな人生を生きてきたのだろう?
と、思いながら聞いていましたが、思った以上に荒んだ人生でした。


この方は日本人ではなく、もともと韓国籍。大学を卒業したものの、当時は"第三国人"は就職先もなく、働けるのは水商売の世界など選択は限られていた様子。すさんだ生活の中でアル中になってしまったそうです。

若い頃は警察の留置所に入れられたこともあり、そこで大暴れしたりしたこともあると言っていました。

アル中の症状も働けなくなるほどであり、重度の不眠症にも悩まされ、自殺未遂も何度もしたらしい。


現在の柔和な感じからは想像もできない。
お金持ちの人からこんな話しが飛び出してくるとは思いもしなかった。


聞いてる人達も不遇な方たちが多かったが、自分のことのように聞き入っていた。
目の前で語る人は、自分達よりひどい状況にいたと感じ、きっと共感する何かがあったのだろう。


叫び求めよ


聖書の「バルテマイ」の話しをしながら語りかけていた。

バルテマイとは聖書に出てくる盲人のホームレスで、イエス・キリストが町を通り過ぎた時、イエスに「私をあわれんで下さい。」と叫び声をあげた人だ。

大勢の人が彼を黙らせようとしたが彼は叫び続け、それに気付いたイエスは立ち止まり、彼の目を癒したという話しである。


『バルテマイのようになりふりかまわずに神を求め、神に叫び続けなさい。』



この創業者の方もかつてそうしたという。そして神と出会い、回心した。
だから同じようにやってみるようにと語りかけた。


こうして前に立って人々を励ましているが、昔は似たような荒んだ境遇にあった。
しかしその後の人生を分けたのは、この叫びだという。


あながたがも今日、神に叫び求めるようにと奨めていた。


バルテマイの話しもいいが、実際にバルテマイのように歩んだ人の話しは説得力があった。
道を示すことは大事だが、その道を実際に歩んだ人の話しにはチカラがあり、聞く人をグッとひきつけチカラがあると感じました。