ブログタイトル

病と貧困

聖書に長血の女の話が出てくる。


短い話なのだが、個人的にはすごく気になる箇所だ。


長く病を患っている女性の話。
『この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。』と書かれている。


なかなか治らない病気を12年も患って、全財産をなくしたようだ。
突然病気を発症。病院でも治らず財産も失う・・・こんな病から来る貧困は現代にもありそうだ。



そんな女性のもとに、イエスの噂が届く。たくさんの人を癒している神の人がいるらしい。



「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と信じてイエスに会いに行った。



■突撃系

以前に聖書の登場人物の中で気に入っているヤコブ、バルテマイ、長血の女の3人を「突撃系」と勝手に命名して書きました。
神を強く求めたことで、神の目に留まった人たちですが、世間で言う『立派な人』ではない印象を受けますし、そういう意味では親近感を覚えます。




しかし、この3名の中でも長血の女は特異なように感じます。





「祝福して下さらなければ離しません。」と御使いと格闘したヤコブ
エスに叫び、「目を見えるようにしてほしい。」と訴えたバルテマイ。


ヤコブとバルテマイは『直訴』しているのですが、この女性だけは無言。
訴えることもなく、後ろから近づきただ衣に触れた。


しかしこれはそうせざるを得なかった境遇がありそうです。


当時の世相ではこの女性は「汚れた病」とされ、社会から疎外されていたようだが、だとすると堂々と人前に出ることができる存在ではなく、正面切って頼むことすら困難な状況も察せられる。
その中で社会のルールを破り、無言で近づき後ろから衣に触れるという行為は、相当な『賭け』だったかもしれない。



人々から無視されるような境遇であっても、この長血の女が神に目に留まるとするならば、誰でも神の目に留まる可能性があり、困難な状況にあっても望みはあるということになります。




衣に触れた瞬間に病は癒された。
この話は聖書に3回も出てくるが、きっと大事な意味合いがあるのだと思う。
一途に賭ける信仰は神から見ても喜ばしいようだ。