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使徒行伝16章31節

妻の弟がクリスチャンになった。


周囲のクリスチャンが、 「もうちょっとしてからでもいいんじゃないの?」 と焦らないよういさめても、自分から教会員登録までしたという。



■別に教会になんか行きたくない

しかしつい最近まで教会に誘っても来ることすらなかった。


前日には「考えとくよ」と言いながら、当日になると「また今度にする。」とか、
「自分は教会ってガラじゃない。」と言って遊びに出かけてしまう。



「雰囲気」という面で捉えれば、「確かにそうかな。」とも思えた。


父親を早くに亡くした妻の家族。
義弟は思春期にグレてしまい、ヤクザのような生き方をしてきた。


結婚を機に家庭中心の暮らしをしようとしてきたのだが、カラオケ店を始めては失敗したり。

その後はトラックを運転したり、肉体労働をしていた。見た目は活動的。ワイルドな感じもする。


だから、教会に座って聖書を読んでいる雰囲気には、どうも馴染めなかったようだ。


しかもせっかくがんばっていたのに離婚されてしまい、子供も奥さんに連れていかれてしまった。


義弟には神さまが必要だなと感じ、教会に誘ってみるも、先のような返事であった。




■神の声

その義弟が教会へ行くことになった。
以前書いたが、妻のお母さんはガンになってしまい、それを機に教会へ通い始めた。
どうやらそれで一緒に教会へ行ったらしい。


そして、キリストを神と受け入れたという。



それを聞いた時は、何が起こったのかわからず 『は?』 という感じだった。


半年前に遭った時は、信仰告白をするようには見えず、どちらかというと反発しているような印象すらあった。
どういう経緯で信仰告白したのか?


聞くと、教会へ入ってから泣き出し、礼拝中もずっと泣いていて、周囲も少し困っていたらしい。
なんでそんなに泣いているのかと聞くと、こんな風に答えたそうだ。


教会に入ってから、はっきりと声が聞こえた。
「わたしがあなたの罪を赦した。周りがどう言おうと、わたしはあなたを赦した。これは天が定めたことで、変わることがないのだ。」
この声がずっと聞こえて、涙が止まらなくなった。



こういうことを言うタイプではなかった。
上品に教会に座っているタイプでもない。
まじめに聖書を読んでいる姿も想像できない。


おそらく本当に聞こえたのだろうとしか言いようがない。


初めて教会に来たのだから、また何回か教会に通ってみてはどうかと周囲が勧めるも、そんなことなどおかまいなしで、その日のうちに教会員登録すると本人が言い出したという。


聞こえてしまった以上、もう否定はできなくなったのだろう。


それまで 「キリストも仏教もみんな同じだ。」 とか、「教会なんか行く必要がない。」「オレには合わない。」と反発していた。
妻が「あなたのために祈っている。」と伝えると、「余計な事するな。」という感じ。
どちらかというと、"男っぷり"を売りにするタイプだった。



それが今回 「ずっと祈っていた。」 と妻が伝えると、「ありがとう。」 と答えたらしく、聞いた妻が驚いていた。



使徒行伝16章31節にこんな聖句があった。

ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。



義弟を教会へ連れていこうと、人間的な策をこねくり回した。
行った教会が合わなかったのではないか?とか、元警察官の牧師さんが開拓している小さな教会を勧めてはどうか。そこなら牧師さんも逞しいし、彼の雰囲気に合うかもなどと、夫婦で話し合ったりしていた。



しかし、そういうことではなかった。



神の御言葉は真実。

神が導かれるのだろう。