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わるもの

初めて教会へ行って「主の祈り」を聞いた時、釈然としない箇所があった。


それは最後の方の箇所で「我らを試みに会わせず、悪より救いいだしたまえ。」という箇所。


最初に聞いた時、現実から逃げているようで、どこか卑怯な印象を受けた。



それは「試みにあわせず」 = チャレンジから逃げているような印象。
そして「悪より救いいだしたまえ」 = 悪から逃げているような印象。


・・・という感じに聞こえたからです。



わるものおいで

子どもにお面を買ってあげたことがありました。

リサイクルショップで見つけた安価なもので、何のキャラクターかもわかりません。
本人も「これは何?」と聞きながらも、おそらく正義の味方だろうと思っているようで、かぶって変身して暴れていました。


「シャキーン」とか言いながら、正義の味方らしきポーズを取り、パンチしたりキックしたり暴れまくりです。



「わるものはどこだー」と叫びながら家の中を走り回ります。


「ウチに悪者は来ないよ。神さまに祈っておいたから。」
と話すと、挙句の果てには、


「わるもの〜! おいで〜!!」と叫んで、悪者を呼び集めようとする始末。
無邪気だなと思いつつ、「主の祈りの逆だな」 と感じ、考えさせられてしまいました。


とにかく誰かと「たたかいごっこ」がしたい年頃。そのために「わるもの」が必要なのです。
正義に興味があるわけではなく、パンチやキックがしたいのであって、それを誰かで試したいのでしょう。自分の活躍に酔いたいのかもしれません。


そのためには、いくら攻撃しても許される相手 『わるもの』 が必要。


小さい子のみならず、世の中こういう人が増えているかもと思ってしまいました。ネットの炎上を見ていると、正義と見せつつ本当の目的は攻撃では?と、見えてしまうことがあります。


動機の見きわめは重要そうです。


主の祈り

このことで「悪より救いいだしたまえ」の意味を再び思い返しました。

聖書を学んでいくうちに、「試み」の原語が「誘惑」であり、「誘惑から守られるように」という意味があるこを知りました。

聖書の中に出てくる悪は、「悪人」というより「サタン」。罪を犯すよう誘惑してくる存在。
アダムが犯した罪を思うと、罪を犯すようなそそのかしから守られるようにというニュアンスを覚えます。また、悪への絶対的な『裁き』は神の側にあります。



悪いものを駆逐したい気持ちになることもありますが、その時は、「わるものおいで〜!!」と、叫んでいる子供を思い出し、自分の動機はなんだろう?と振り返ります。


聖書は長いですが、神の命令を短くまとめると以下の二つではないかと思います。
・心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。
・隣人を自分のように愛しなさい。


悪者を退けることは、時には大事かもしれませんが、それに夢中になったら大忙しで、神の命令を守るヒマなどなくなるかもしれません。


しかし実はそれって背きの罪ではないか?と思うのです。

使命は何か? 優先度はどちらか? と考えさせられた出来事でした。