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的はずれ

聖書で言うところの「罪」はなかなか理解してもらいづらい。



「正しく生きているはずなのに、なぜ罪人なのか?」



道徳的にそれなりのレベルをクリアしている日本人なら当然そう思うだろう。


今日も新しく教会へ来た人に、罪の解説をしていた方がいた。


聖書に出てくる「罪」の原語には「的はずれ」という意味がある。
神は目的をもって一人一人を創造したのだが、「神の目的からはずれている」のが「罪」。道徳面の罪ももちろんあるが、少し違うニュアンスも含んでいる。



以前に書いたサウルの罪を思い出す。いいことをしているつもりで「的はずれ」になっていることもある。


神は何のために自分を創ったのか? 
今の歩みは神の目的に沿っているか? 
・・・と、振り返ってみた。