ブログタイトル

聖書のお話し

職場ではあまり聖書の話をすることはないが、時々質問されることがあります。


先日は、「アダムとエバってなんですか?」と聞かれた。


そこからか・・・


と思いつつ、神が創造した人間で、エデンの園という神のもとで暮らしていたこと。
神に逆らい「善悪の知識の実」を食べてエデンの園から追放されたことなどを話した。


これも知られていないかと驚いたが、世間の認識はそんなものかもしれない。


西洋文明

また、多く誤解を受けていると感じるのは「キリスト=西洋」という図式。


そういう区分けをするならまず「中東」のはずなのですが。
キリスト教の教会はヨーロッパ風ですが、もともと聖書の時代にあのスタイルの教会は存在していない。


いわゆるヨーロッパ風の教会は、ギリシャの建築方式。
エルサレムに神殿はあったけれども、毎週の礼拝は家庭集会のようなスタイル。
だから「教会」は建物を指すのではなく、クリスチャンのグループを指していた。



さらに聖書を読むと「西洋文化」のイメージとも違うと思う。
日本で「西洋文化」という時は、「近代合理主義」のイメージが近いと思うが、それとはかけ離れた世界が見て取れるはずなのですが。





十字架

キリストの十字架は「無抵抗だったから偉い」とか「平和主義」という人道的な話しではなくて、「救世主」の話。


「救世主」というと、スーパーヒーローのようなイメージを抱くかもしれないが、やや異なる。



キリストが現れた時代のイスラエルローマ帝国の植民地であった。
当時の人々も搾取から解放してくれるスーパーヒーローを待ち望んでいたことだろう。



しかしやってきた救世主は少し違った。


ローマの搾取からユダヤ人を解放するのではなく、癒しや奇跡を行いながら「天の御国」に入る方法を説いた。


神のもとに帰るためには、どうすればよいか?
罪を清算するにはどうすればよいか?
神が与えた救済策は、キリストが罪を負うという「特別恩赦」のような方法。


「福音」と書くと小難しく見えるかもしれないが、道徳論とかじゃなくて、「Good news」のことであり「よいお知らせ」という意味。
聖書といえば、世間では「厳粛な宗教書」というとらえ方をされているように思うが、当時の民衆の様子を見ると、


「神の救済が来た!」「神のもとに帰れる!」


・・・みたいな感じが伝わってきて、号外級?の「よいお知らせ」というのが本質なのではないかと思う。