知り合いの牧師が天に召されて、お別れ会があった。
とても良い時で、他の教会の牧師も集いとても励まされる話しも聞けた。
その中で、「参加しようかどうか迷った」という一人の女性が分かち合いをしてくれました。
悔い改め
他の人たちが故人との楽しい思い出や、影響を受けたこと、故人の素晴らしかった点を話していたのですが、この女性が少し違ったのは途中で故人の牧師と仲違いをしたことを話してくれたことです。
些細なことから行き違いが生じて、この女性は教会を離れ、現在は別の教会に通っていました。
そして教会を離れた時、故人に言ってはならないことを言ってしまったと告白し、遺族もいる会衆の前で悔い改めました。
今思えば、行き違いの内容なんてどうでもよいことで、そのことをいつか故人に謝りたいと思っているうちにこの日が来てしまった。
今日しかないと思い参加を決めたとのことでした。
その後行った教会の中で、故人の教会が一番家庭に近い雰囲気だったと振り返っていた。
故人と諍いはあったのだろうが、語る姿はどこか清々しい印象さえありました。
その女性は故人の教会でよく歌っていた賛美を歌いたいと申し出て、席上で歌い始めたのですが、がさすが賛美リードをしていた方らしく、引き込まれるように皆がその賛美に続き、この日初めて会衆が一つになったような時間が持てました。
故人の願い
そして遺族が話しをする時間になったのだが、親族の中に1人だけクリスチャンではない方がいた。
故人との思い出を語った後、久しぶりにクリスチャンの集いに参加して感じるものがあった話し始めました。
そしてこの日、一番感銘を受けたのは、先ほど悔い改めをした女性だったという。
クリスチャンの集いには過去数回参加したことがあったが、他にはない独特な空気を毎回感じるという。
それは自分の弱い部分や、罪と言われる部分を隠さずにオープンにすること。
そしてそれが許され、受け入れられる雰囲気があること。
一般社会にはない空気で、普通は「強く見せよう」と日々見えない鎧をまとって暮らしているが、それを降ろしてもよいと言われているような感じを受けるそうだ。だから、先ほどの女性の語る姿にとても感動したという。
故人がこの遺族の方に福音を伝えようとしていたことは、話の中から伺えた。
というか、故人は誰にでもキリストを伝えたがる人だった。
その故人の願いをこの日一番為したのは、奇しくもこの女性の悔い改めだった。
「死人に口なし」という言葉があるが、故人とのことは誰もわからず、黙っていることもできただろうが、神は全てを知っている。
遺族や会衆の前で、告白することは勇気のいることだったのではないか。
しかしその忠実な姿を見て、神が遺族の方の心を動かされたかなと感じた出来事でした。