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どこを見ているのか?

ペテロが水の上を歩く。


聖書のこの箇所が好きなクリスチャンは多いと思う。



荒川静香がオリンピックで金メダルを取った時、「You raise me up」という曲を使用したが、

You raise me up, to walk on stormy seas

という箇所はキリスト教文化圏の人が聞けば、聖書のこの箇所だとピンと来るはず。


この曲が賛美歌として作られたかどうかは別として、少なくとも「水の上を歩く」という表現が慣用句のように出てくるのは、それだけこの箇所は有名なのだと思う。


ペテロという人


ペテロは水の上を歩いたが、風を見て怖くなり沈みかける。
そこをイエス様に引き上げられ、「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」と諭された。


ペテロがビビったように言われることも多いが、どこか憎めない人だと個人的に思う。


弟子たちが舟で出発したのは少なくとも、夕方頃。
風と波に悩まされてなかなか前に進めなかった。



このガリラヤ湖は海抜がマイナス213メートル。谷底のような低い場所にあり、山に囲まれている。だから周囲から強い風が吹きおろしてくるのだ。


そしてイエスが水の上を歩いてやってきた。夜中の3時であった。
弟子たちはおびえて叫び声をあげたとある。


今と違って電気やライトがない。松明のようなものを持っていたのかどうかは知らないが、あったとしても夜中の湖上に人影が浮かんだとしたら、かなり恐ろしいと思う。


エスは自分であることを弟子たちに伝え、恐れないようにと声をかけた。


夜中の3時だとすれば、仮に夕方18時頃に舟を出したとして、8〜9時間は舟で奮闘していることになる。
湖とはいえ強烈な風と波に翻弄されていたのは想像に難くない。


何言ってるんですか?


この時、ペテロがイエスに言ったのが次の一言だ。

「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」


もしも自分が同じ舟に乗っていたとしたら、こんな風に感じたかもしれない。

「一体何言ってるんですか?」または
「いいからちゃんと舟漕いで」



現実的には「主よ、風と波を静めて下さい。」が妥当だと思うのだが、しかし実はそれはイエスに喜ばれない。



どちらの出来事が先かはわからないが、ルカの福音書で同じく舟に乗っている時に強風が吹き荒れた箇所がある。
その時弟子たちはイエスに「私たちはおぼれて死にそうです。」と助けを求めたところ、イエスは風と荒波をしかりつけて静められた。
そしてイエスが言われたのが「あなたがたの信仰はどこにあるのか。」の一言。


だからこの場面でペテロが助けを求めるのではなく、このように言ったこと自体は良かったのだと思う。
事実、イエスも「来なさい」(水の上を歩いて)とペテロの言葉に即反応した。


どこを見ているのか?


そしてペテロが水の上を歩く有名な聖書箇所。


夜中の3時。暴風吹き荒れる湖上での出来事。夜中の海なんて真っ黒な水にしか見えない。どれほど恐ろしいことか
暴風と波の中、溺れれば探し出すことも難しい。


ペテロはこの状況を乗り越えて舟から出て、しばらく水の上を歩いた。

最後は溺れそうになって、結果から見れば臆病者のように見えるかもしれないが、神への信頼が死の恐怖を超えた瞬間はあったのだと思う。



ルカの福音書で弟子たちは助けを求めた。
しかしマタイの福音書のペテロは暴風ではなく、イエスを見ていた。
エスと同じ行動、そして隣へ行くことを望んだ。



自分が問題に直面したら、どちらを見るだろうか?
ペテロと同じであれば、その時イエスは「来なさい」と即答されるのかもしれない。



マタイの福音書14章29節
エスは「来なさい」と言われた。
そこでペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスの方に行った。


この後、ペテロを助けたイエスが舟に乗り込むと、風は止んだ。