新約聖書の中で、イエスが奇跡を行う前に「かわいそうに思って」という表現がたびたび出てくる。
今まで聖書に出てくる奇跡の箇所を「すごいなぁ・・」で読み流していたが、しかしよく見ると、憐みを感じそれが動機で癒したりいろんなことを行っている。
歩みを見ていると「かわいそう」という心は、神の思いと一致しているのだろうと思う。
主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、
その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。
と、聖書にもある。(歴代誌 第二 16章9節)
だから「かわいそうに」思われた後に、大いなる奇跡が現れたのかもしれない。
『憐み』は神の根底にあって、同じ心を持つことが幸いに繋がるのかなと感じた箇所。