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教会に行きたくない → 放蕩息子 → ?

クリスマスの時期のこと。

現役の牧師さんがかつて「教会に行きたくない」という時期があったことを、メッセージの中で語ってくれたことがありました。



久しぶりに生活困窮者の炊き出しに参加したところ、この日は韓国人の牧師さんも来てましたが、メッセージの途中で突然この人にバトンタッチとなり、証しをされることになりました。


突然の指名だったので、『人を困らせるのが上手ですね。』と冗談を言いながら、ホームレスの人達の前で『自分がそんな立派な人ではないこと』や『かつて教会から離れていた時期があったこと』を語り始めました。


この牧師さんは代々の牧師の家庭に生まれたそうです。ところが・・・、
『教会でいろいろ大変なことをやらされ・・・・』
『イエスという人について行ったら、私の人生は大変なことになると思い・・・』
教会を離れたそうです。


あまりにストレートなこのフレーズを聞いて、思わず笑ってしまいました。

母国語でなかったのもあるのでしょうが、歯に衣を着せぬ言い回しです。


さてそこからこの牧師さんは韓国で学生運動に参加して、火炎瓶を投げたりしていたとのこと。

そして気付けば仕事もなく『日本に行けばなんとか働く場所があるのではないか?』と考え来日。肉体労働などアルバイト。
しかしこのままではいけないと思い、どうしたらいいかという回答を再び聖書に求めたそうです。


この辺りが素直だなという印象を受けましたが、実は教会から離れたいと思う人でも、神さまから離れたいと願う人は、あまりいないのかもしれないと感じました。


放蕩息子の話しを引用し、『神はどんな状態でも私たちが戻るならば受け入れて下さる。』と語りかけていました。
その後、この牧師さんは大学に進みますが、さらに神学校への導きを感じてそちらへ方向転換。
日本で牧会に導かれて、もう20年になるそうです。


『こんな私でも再び受け入れられ、神の働きに導かれました。この中にも神の働きに導かれる人がいるかもしれません。』
と言った時、白いキャップを被ったホームレス男性がコクっと頷くのが見えました。


後ろから見ているので顔は見えませんでしたが、そういう気持ちを持ってこの場に座っている人がいるという事実に、胸のすく思いがしました。
過酷な状況にあっても、そういう未来を信じられる人が少なくとも一人いるということです。
『リアル放蕩息子』だった牧師さんの証しは、何人かの人に響いたかもしれません。


「自分は昔ホームレスでしたが・・・」
と証しをする牧師が、いずれ出てくるのかもしれません。

信仰者に変えられる姿を見ていると、聖書の中で水がぶどう酒に変わった光景を見るような気持ちになります。