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人生諦めた? アブラハムの話し

最近のヘッダーです。



英語で書いてあるのは聖書の言葉。

最近メッセージで聞き、励まされた箇所です。



創世記15章6節..............................


彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。


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ここで出てくる「彼」とは信仰の父と言われるアブラハムのこと。
アブラハムに神からの言葉が臨む箇所です。


「恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」


という一文から始まる神とアブラハムの一連のやりとり。
「恐れるな」とありますが、前後を読んでもアブラハムは「私は恐れています」と言っていません。
アブラハムの恐れや不安もすべてお見通しのようです。


さらにアブラハムは神に申し出ます。
「あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう」


実は前の部分で、子どものいないアブラハムに、「沢山の子孫を与える」と神からの約束がありました。しかし、いつまでたっても子どもができないので、信じられなくなり諦めモードの様子。


『信仰の父』と言われるアブラハムの見る影もない姿ですが、なんだか人間的で親近感を覚えました。こんなところで親近感を覚えるのもなんですが。


さらに神の言葉が続きます。
「その者(奴隷の子)があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」


そして神はアブラハムを外に連れ出して
「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」
「あなたの子孫はこのようになる。」
と、再び約束しました。そして
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彼(アブラハム)は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
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というヘッダーの聖句に続きます。


諦めモードだったアブラハムを、神の側が励ましている情景を見ていると、信仰は自分の忍耐力というよりも、神からの助けによって与えられるような印象も受けました。


またアブラハムという人も、すごく素直な人だと思う。
さっきまで「あなたが子どもをくれないから」と神に不平を言っていたのに、あっさり信じている。
でもこの素直さも神の側から見ると、嬉しいものなのかもしれない。


神が認めたのはこの「信じた」という点。何かが立派だったからというわけではないようです。



アブラハムは諦めモードだったけれど、神の側は決して諦めないという点については、ヨセフの話と同じ姿勢を感じます


アブラハムと神との関係は、自分が「信仰」という単語からイメージするものよりも、「信頼関係」に近いのかな?と感じました。