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平和をつくる者

ある日、ホームレスの炊き出しに行ったら誰かが叫んでいた。
何事かと思い様子を見ていると、知らない年配の女性が礼拝や炊き出しを非難していた。


女性はビニール袋に何かを入れてぶら下げ、靴は小学生が履くような白い上履きを履いていて、少しホームレスっぽくもあった。


絶叫していたので、言ってることはよく聞き取れなかったが、どうやら他宗教の人でキリスト教が嫌いらしかった。
とにかくこちらのことが気に入らないらしく、怒鳴り散らしている。


前で話している人の声が聞こえないくらい大声で、このままでは奉仕ができないため、数名の人達が「まぁまぁ」という感じで手を拡げつつ、その場から少し離れた場所へと誘導しようとしていたが、ますます激昂するばかりで、集団の後ろへ移動はしたものの、ずっと大声で罵っていた。


「困った人だ」と思いつつ、下手に行っても余計にこじれそうだと思い、一体どうやったらあの女性を静かにさせることができるだろう?と様子を見ていた。


黒い帽子の男性

メッセージが始まってからも『そんな他力本願はダメだ!!』とか、とにかく妨害するようなことばかり叫んでいたが、20分ほどすると少し静かになった。


黒い帽子を被った初老の男性と向き合っていたが、何をしているかはよく見えなかった。
自分はその帽子の男性のことは見たことがなく、奉仕者の一人だろうとだけ認識していた。


気になり時折チラチラとそちらを見ていたが、それっきり完全に静かになった。
年配の女性は目を閉じてうなだれていた。


暫くしてから気になってまた見ると、黒い帽子の男性が何か話していて、それを聞いているようだった。


あまりの暴れっぷりから『手がつけられない人だ。』と思っていたが、どうやらこの黒い帽子の男性とは落ち着いたコミュニケーションが取れていた。
時折、女性も口を開き、黒い帽子の男性と話していた。
最初は数人の奉仕者が女性を取り囲んでいたが、最後は黒い帽子の男性一人だけがその場に残り、年配女性と話をしていた。


その後は滞りなく、礼拝と炊き出しは進んだが、逆に自分の心は騒いでいた。


一体どうやってコミュニケーションが取れるようになったのか?


あんな手の付けられない状態から、一体どうやったらそんなことができるのか?


そのことが気になって仕方なかった。


■賜物

その黒い帽子の男性のことが知りたいと思い、近くにいる奉仕者
「あの黒い帽子の人は誰ですか?」と聞くと、
「きっと最近来ている奉仕者だよ。」と言われた。
奉仕者はいろんな人が来るので、名前はよくわからない様子だったが、元・ホームレスの人かもしれない。


そうだとすればすごい人だと感じた。


あそこまで敵対心むき出しの相手を穏やかにさせ、コミュニケーションを図れるというのは、すごい賜物だと思った。


この日は奉仕は気もそぞろで、そちらばかり気になって仕方なかった。


一体何を話しているのだろうか?


聞いてみたいが、せっかくコミュニケーションが取れている間に割って入るのも気が引ける。
奉仕ついでに近くを通ってみると、女性が話している声が少し聞こえた。
どうも年配女性の話しを聞いてあげているようだ。


"話しを聞いてあげる。"
一言で言うのは簡単だけれど、あの状態からここまで引き出すことは自分にはとてもできないと思い、この黒い帽子の男性と話がしたいと思った。


炊き出しが終わり片づけの時間に、黒い帽子の男性が戻ってきたので話しかけたかったが、
「いやー、ちょっと待たせているからまた来週。」と周囲に挨拶をして、年配女性の所へ行ってしまった。


その後は祈ったりメモを交換したりしている様子で、完全に交流が図れているようだ。


■神の御心

帰り際に牧師さんに、
「あの黒い帽子の奉仕者の方はどなたですか?」と聞くと、
「最近来ている人で、あの人は牧師だよ。」と言われた。


なるほど


少し納得がいったが、だとしてもすごいと思った。
あそこまで敵対心むき出しの人と友好関係に到るのは、あまり見ない。


怒鳴り散らすこの厄介な年配女性を見て、自分は『妨害者』だと思っていた。
自分が思いめぐらせたのは、この人を静かにさせて礼拝を円滑に進めるということ。
それが神の御心だと思っていたが、それは表面的な平和だったかもしれない。


しかしこの黒い帽子の牧師さんは、この年配女性を『救うべき魂』と捉えていたようだ。
怒りに満ちた魂を憐れみ、話しを聞き、交流を図り、導いていた。聖書の通りかもしれない。


まさかあんな攻撃的な人を救いの輪に入れることなんて、できると思ってなかったが、それは神を侮ることだったかもしれない。



わずか一時間後。
様子をうかがうと、年配女性はなんと穏やかに笑っていた。さっきまでの怒りに満ちた表情とは別人のようだった。
実際に目の前で見せられると、聖書の示す方が正しいと言わざるを得ない。



黒い帽子の牧師さんは聖書にある通りに従い、神がそれに応えたようにも見えた。


この牧師さんの背は小さく、服装は地味で、普段はあまり話さないらしく、どんな方かと聞いても周囲の人はよくわからなかった。


この女性が静かになって、黒い帽子の男性と話している様子を見ながら、聖句が頭をよぎった。


(マタイの福音書 5章9節)
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。


混乱の現場を幸いな雰囲気に変えていく姿は、本当に神の子のように見えた。
こんな風に平和をつくる者になれればと思った。