少し前にMSNで9才の女の子がホームレスのためにシェルターを作っているという記事が出ていた。
すごいなぁと思いつつ、そこまでできてない自分との違いを考えてみた。
行動力
子どもだからなのか与えられたものなのか、行動力がすごい。
家がない → 家を作る
食べ物がない → 野菜を作る
正しすぎる。大人ならばためらってしまいそう。
・継続して支援できるのかとか
・実は悪い人でお金を無心されたらどうしようとか
先入観なくそのまま行動に移しているが、親も素晴らしいと思う。不安が先だってストップをかける親がいても不思議ではない。
絶妙な感じで間に立ったり助け船を出したりしているのかもしれないけれど、この子の善意をそのまま後押ししているし、逆に親が前面に出て働きを取り上げてる感じでもない。
動機
家を作るとか野菜を作ることもすごいのだけれど、なぜそこまでできるのかと思う。
インタビューを見てみると、「エドワード」という個人名が出てくる。無意識に線を引いてしまいそうな「ホームレス」という線があまりないのか、友情というか信頼関係みたいなものの方が強いようだ。
家作り・野菜作りなら、誰でも同じことはできそうだが、「エドワードのため」という思いが原動力になっているように見えなくもないが、こういう動機の有無が、人生を分けているのかもしれない。
できるかどうかではなく、動機の有無とか強さの問題か。
聖句を思い出した。
あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことをさし控えてはならない。
自分はどうだろう?と、動機の棚卸しをしてみた。