以前、休職して親の介護の話しの中で、とりなしの祈りについて書きましたが、最近とりなしについて感じることが多いです。
■逆転
今回、妻の母親について多くの人に祈ってもらい、思いのほか回復してくれたが、他にも実は自分の父についても教会で祈ってもらっていました。父は長く病気を抱えており、外出できない状況にありました。
外出どころか風呂でシャンプーするのもままならず、もうこの先回復することは難しいかなと感じていたのですが、ダメもとでいろんな人にとりなしの祈りをお願いしてみたのです。教会の週報に載せてもらい、毎週祈ってもらうことになりました。
暫くは教会の人に会う度に『お父さんの具合はどうですか?』と聞かれ、そんな急に良くもなってないので返答に困る日々が続きました。
しょっちゅう聞かれるのだけれど、毎回『あまり良くなっていません。』と回答するのは少し気まずく、とりなしの祈りをお願いしないほうが良かったかもと思ったこともあります。
とりなしをお願いしたのが2010年。
ある日気付いたら父は外出するようになっていました。
いつ頃よくなったかハッキリしないです。2013年頃だったかもしれないですが、2004年頃からずっと下降の一途を辿っていた病状が、いつの間にか上向きになっていて、その時に数年前に祈りをお願いしていたことを思い出しました。
父は病気を持っているし、長生きできないかもと思っていたが、同年代の親戚の叔父さんなどが次々と病に倒れ亡くなったりしている中で、気付けばかえって健康な方に入っている。いつの間にか母より元気な時も。
今回妻の母についてとりなしの祈りをお願いしたが、自分の父と妻の母が目立って状況が改善しているのを目の当りにして、最近とりなしの祈りの大切さを痛感しています。
■禁煙
はじめてとりなしの祈りについて聞いたのは、教会に行き始めたばかりの頃。子供のいる女性が禁煙についての『証し』をされた時のことでした。
その方は教会に通い始めたものの、どうしてもタバコを止めることができず悩んでいたそうですが、教会では吸うわけにはいかないので、教会の外でコッソリと吸っていたそうです。
教会の親しい友人からも止めるよう勧められ、「今度こそ止める。」と決断するも、何度も失敗。次第に諦めムードになっていました。
ある日、久々に禁煙しようという思いが湧いたので再度挑戦したところ、その時はアッサリと止めることができました。嬉しく思い相談していた友人に、ついに禁煙できたと自慢気に話したところ、友人の答えに言葉を失ったといいます。
私はちょうどその頃、あなたが禁煙できるよう、断食の祈りをしていた
その出来事からこの女性はとりなしの祈りの大切さを知ったそうです。とりなしの祈りによって、自分ではできなかったことも超えることができた。だから教会のメンバーに、互いにとりなし祈りあいましょうと勧めていました。
■誰でも
とりなしにまつわるメッセージで、とても心に残ったものがあります。
重い病気を抱え、病床にあったあるご婦人の話しでした。
本当は教会で仕えたいのだけれど、思うようにならない気持ちを友人に伝えたところ、とりなしの祈りを勧められたと言います。
これなら病床でもできますし、入院しているので時間もタップリあります。
毎日町内の人の名前を挙げながらとりなしの祈りを始めました。
小さな町だったそうですが、暫くすると少しづつ教会に人が来始めました。
そのことを教会のメンバーが入院中のご婦人に伝えると、非常に喜んでますます祈りに励んだそうで、この頃から次々に受洗者も増えてきたそうです。
しかしご婦人の病状は改善せず、後に天に召されました。教会のメンバーも協力し遺品の整理を行っていたところ、枕の下から祈りの課題や人の名前が書いたメモが出てきたと言います。
きっとこのメモを見ながら祈っていていたのだなとわかりましたが、暫くメモを見ていると、ふとあることに気付いたそうです。
祈りのメモの氏名と、洗礼を受けたメンバーが完全に一致していたということ。
受洗する方が出たと氏名を聞くたびに、ものすごく嬉しかったのではないかと想像できます。
「神を愛する」と「人を愛する」を同時に満たしている「とりなしの祈り」の働きは、誰でもできるし人知れず為されるものですが、大きな働きだと思わされました。