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宣教師の視点3

先日、発展途上国に行っている宣教師が一時帰国した。


久々の帰国なので、一緒に食事をすることに。現地の状況を聞いてみた。



派遣先はテロのある地域。薄々気付いてはいたけれど、今回の帰国は強制帰国だった。



外国人は全員国外退避せよとの命令が現地政府から出たとのこと。
日本では報道されていないけれど、緊迫した状況だったらしい。


一か月以内に重大なテロが起きる可能性があるとの理由での強制退去。
しかし、会った時はもうすぐ一か月も過ぎるので、次月にはまた現地に戻るとのことだった。


テロについては、標的にされたらひとたまりもないと言っていた。
因みにこの宣教師さんは女性だ。
ありきたりな質問だが、思ったことをそのまま聞いてみた。


「こわくないですか?」



しかし、意外な答えが返ってきた。


「日本だって危険でしょう。」


東京だって地震があるかもしれないから、同じくらい危険という認識らしい。
その危機感は現地のテロとあまり変わらないようだ。
確かにテロで亡くなる人数と、大震災で亡くなる想定人数を考えると、そうかもしれない。



その宣教師さんの働きは命がけで、頭が下がる思いだったが、実はこちらも同じくらい命を的にして暮らしているのかもしれない。


あちらは日々神の前に「命をかけている」というか「命を捧げている」認識はあるかもしれない。
果たして自分は神の前にどう歩んでいるだろうか?と、振り返る機会となった。



ヨハネ福音書12章25節がふと浮かんだ。