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報われない働き?

昨年の今頃、妻のお母さんは入院していた。
そのまま退院できずに亡くなってしまうのではないかと心配したほどであった。
妻は病院で2か月泊まり込んだが、今回はその時に励ましてくれた病院の伝道師さんにお礼を言う機会があったらしい。(自分は留守番)


伝道師さんにお礼を言い、お母さんは退院後に元気になり、教会に通っていることを伝えた。
特別賛美で歌を歌っている写真を見せると、とても喜んでいたそうだ。


すると、伝道師さんはこんな話をしてくれたという。



エスさまが10人を癒した時、お礼に来た人は一人しかいなかった。


自分が何をしたわけではなく、神さまが助けてくれたのだが、お礼に来てくれて現在のお母さんの状況を知ることができてとても嬉しいと。


そしてまた、会話の中でこんな思いも吐露していたという。
時々、 『自分の働きは役に立っているのだろうか?』 と不安を感じる時があるという。
だから今の話しを聞いて、自分も役に立っていると知り励まされたらしい。


確かにそうかもしれない。
病院の伝道師は、患者のために祈り励ますが、退院した患者がその後どうなっているかはわからない。
毎日同じことの繰り返し。しかも結果が見えない。
牧師のように救いの喜びを分かち合うわけでもなく、信徒が成長するのを見るわけでもない。
絶望する人を励ます重要な働きであるにも関わらず、『実』を見ることの少ない働き。


また、この病院には二人の伝道師さんがいる。
一人は超ベテラン。とても優秀で人を導くのが上手だと評判らしい。
今回話した伝道師さんはまだ経験が浅く、それもあって「自分はちゃんとできているのか」という引け目を感じていたようだ。


しかし、今回『実』を見ることができた。



妻は本当は知り合いの婦長さんに会いに行ったのだけれども、婦長さんは不在だった。
その結果本来会う予定はなかったのだが、この伝道師さんと再会しその後の様子を話す機会が与えられた。
お互い前進させるために神さまが会わせてくださったのかなと言っていた。


神のなさることは、すべて時にかなって美しい(伝道者の書 3章11節)

とあるが、その通りだと思う。働きはちゃんと役に立っていると伝わったのではないかと思う。