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山は動きました?

小さな集会

昨年、キリスト教の小さな集会が開かれた。

前の教会で一緒だった方からぜひ来てほしいとハガキが来たが、久々に会いたい気持ちもあったので、行ってみた。

ホールを借りて、讃美歌を歌ったり踊りを披露したりする集会でした。
ホールは250人くらい収容できる場所。


しかし行ってみて驚いたのが・・・

観客が誰もいない。



見てる人より、ステージの人の方が多い状態で、これは大丈夫なのでしょうか?とこちらが心配になるほど。
10人くらいはいたと思うけれど。


ちょっと寂しい感じで集会は終わったが、それはそれとして久々に再会したので、帰りにファミレスで食事をしながらお互いの近況を話したりした。


聞くと、家計も大変そうだし、健康も問題ありだし、信仰生活もなかなか大変な所を通っているようだった。
ホールを借りる費用だって安くはないだろうが、本人は神に捧げる気持ちで集会を開いているという。



『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。』


と聖書にあるが、神はちょうどいい時にこの人達に出会わせてくれたと思う。


自分もいろいろと思い悩んでいた時期だったが、どう考えても自分より大変な境遇だ。
そんな人に励まされると、さすがに『こんなことで悩んでいられない!』と、気持ちが切替わった。



懲りずにまた集会

さて、そんな寂しい集会から一年が過ぎて、なんと今年もまたその集会をやるという。


今度は大丈夫なのでしょうか?と、期待とは別のドキドキを感じながら、今年も観に行った。


すると、だいぶいい感じでした。
客席は1/4以上は埋まっていたと思う。去年よりはだいぶ多い。


ステージには手話で朗読をする方や、プロのゴスペルシンガーの人も来ていて、去年とは全く違う雰囲気になっていました。


山を動かす


聖書の中に、「山を動かす信仰」について書かれている箇所がある。

まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
(マルコ11章23,24節)


環境条件から見ると、今年はもう集会は止めた方がいいのではないか、と思ってしまった。
自費でホールを借りる費用だって安くないはず。

しかし、「神に捧げていく」という信仰の方が強かったようだ。


今年は昨年より5倍近くも人が集まり、だいぶ活気も出て来た。

山がちょっと動いたかな?と感じさせてもらった。


苦難の中を歩んでいた方の道が切り拓かれていくのを見ると、こちらも励まされる。