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やもめと裁判官

ルカの福音書18章に以下のような箇所がある。


いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、
エスは彼らにたとえを話された。

「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。

その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、
『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。

彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに
『私は神を恐れず人を人とも思わないが、
どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、
この女のために裁判をしてやることにしよう。

でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」


こんな不正な裁判官ですら訴えを聞いてくれるのですから、神は訴えを聞いて下さるという文脈に続く。


この聖書箇所がすきな人は多いと思う。失望せずに祈ることの他にも、その通りだなぁと思うことがあります。


それは、やもめが裁判官に訴えていること。
おそらくやもめは誰かから不当な仕打ちや被害を受けていたのではないでしょうか。


その問題を相手に持ち込まず、裁判官に持ち込んでいること。
その裁きを裁判官に求めていること。
ここで言う裁判官は『神』。


さらっと読み流してしまいそうですが、最近の凶悪事件の殆どは、自分で直接を裁くことが原因かなと。
話し合いも場合によっては、物事を悪化させるケースも多いかも。



もし『神』という存在を一切想定しない場合、「悪」は自分で裁くしかない。
しかし世の中このやもめのような人ばかりで、こんな”裁判官”がいるとしたら、事件は起こらないと思う。


かつて大きな問題をこの”裁判官”に持ち込んだことがあった。
到底解決できないほどの相手で、ある人からは「その問題は永遠に解決しない。」と言われたが、その問題はもう存在しない。”裁判官はいた。"としか言いようがないけれど。


だから裁きそうになる時には、この「やもめと裁判官」のことを思い出します。