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聞くこと

夏祭りのことで困った時に、いろいろなクリスチャンの方に相談したが、答えはさまざまであった。
iroiro-memo.hatenablog.com



周囲との関係を崩さないよう、参加した方がいいとアドバイスくれた方もいた。


後日その方と会う機会があり、「夏祭りの件はどうなりましたか?」と聞かれたので、


「中止になりました。」と伝えた。


40年来で初の中止となったこと、自分は販売を続け周囲との関係が一変したことなどを証しをすると、かなり驚いていたが、共に喜んでくれて「主は常に避けどころを備えて下さるのですね。」と主をほめたたえていた。


キリストの言葉を聞くこと

重要な決断をする際に、いろいろな人、信仰歴の長いクリスチャンとか牧師さんに相談したことがあったが、全く真逆な答えが返ってきて、どちらが神の導きなのかわからなくなることがあった。


状況を完全に把握しているわけではないし、聖書を読んでいても個人的な価値観も入ってくるから仕方ないかもしれない。



以前、試練の時にも周囲のクリスチャンに相談した。すると、
「危険だからそこからすぐに逃げなさい。争うことは悪魔の罠だ。」という人もいれば、
「神さまがいるから大丈夫。堂々と踏みとどまりなさい。」と言ってくれる人もいた。


こういう時は、どちらが正解だろうか?




最近感じている正解は、

実に信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。
(ローマ人への手紙 10章17節)

という聖句箇所。


信徒の言葉ではなく、キリストの言葉を求めること。
人にアドバイスを求めるのではなくて、神に求めるということ。


アドバイスを人に求めた場合、二つの罪を犯す危険性を感じます。

一つは神の意見を聞かなかった(求めなかった)罪。

それから「あの人のアドバイスのせいで・・・」という責任転嫁の罪。

つまりエデンの園でアダムが犯したのと同じ罪。
その人の言うことに従って不幸になった場合、こんな逆恨みの罪を犯す可能性も。

問題の解決策なんて、どれを選んでも最初はトラブルになったりして正解とは思えないことも多いかもしれない。

自分で神に祈り求めて失敗した場合、自分で悔い改めたり、さらに神を求めたりすると思う。
しかし、誰かのせいにして逆恨みしてしまったらその機会も失うかもしれない。


今回のことで、先の聖句の大切さを改めて思い知らされました。