ブログタイトル

それぞれの働き

車いすの宣教師

海外からの宣教師のエピソードで、とても印象に残った話しがあった。


宣教師と言ってもずっと日本にいるワケではなく、「宣教旅行」と呼ばれるもので夏休みなどを利用して、日本にやってきてキリスト教を伝えていく人たちのこと。
これは香港から来た短期宣教の人の話しだった。



ある教会が、短期宣教のグループを香港から迎えることになった。

5〜6名のグループでやってくることになっていたが、その中に車いすで来日する方が含まれていた。

外国人でしかも車いす。大変そうなことは明白だ。


今までにないケースであり、迎える側もそこを配慮しながらいろいろと準備をして当日を迎えたそうです。


しかし、実際に空港でご本人を迎えてみて、驚いたといいます。


やってきたその方は、体が不自由で車いすに乗っているばかりでなく、生まれつき話すことも困難な人だったそうです。


■備え


この方がどんな宣教をしたのかはわかりません。


立派なメッセージを語ったのかもわかりません。


しかしこの方に会ったクリスチャンは感じるところがあったのではないかと思います。


障害を抱えながらも、ご本人は宣教に熱く燃えていたということです。
聞いていて、突き刺されるような気持ちになりました。


この話しを思い出す時に、聖書の言葉が浮かびます。


私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。
神は私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ2:10)


こんな風に人の心を動かすことは、この人でなければできなかったかもしれません。


そう思うと能力や境遇によらず、それぞれなすべき行いが与えられているのかなと思いながら聞きました。