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『最貧困女子』という本

この本に関しては、まだ自分の中で整理できていないです。

amazonである本を探していたら、たまたま目についてしまいました。


虐待などから家出したり、施設に預けられて飛び出した少女たちが、売春のサイクルに入ってしまい抜け出せなくなり全てを失っていく様子がとてもリアルに描かれていました。
この負のサイクルが、公的福祉と別にある裏社会のセーフティネットとして機能している様子がとてもリアル。



最初は被害者だった子どもが、虐待などから逃れようとして『これしかない』という選択を繰り返しながら、そこへ向かっていく。
本人たちはもしかすると前進しているつもりなのかもしれないが、こんな葛藤の段階を踏んでいくのかと初めて知った。



貧困と性産業の二つを軸にしつつ、この二つの密接な関わりが様々なケースで描かれている。


売春 = 悪い子 


という単純な図式で見てしまいがちですが、「虐待からの避難」の一つの選択肢として、
「今よりマシな世界」に行くためその選択せざるを得ない流れがあるという。しかも一度この流れに巻き込まれると、『自己責任』というレッテルが付き、周囲からは支援を受けにくくなって、さらに孤立する。


読後の印象は『悪』というより『憐れ』。
自分には支援が必要だと気付く能力すら与えられていない人もいた。


中でもいたたまれない気持ちになったのが、重度の知的障害を抱えた女性の話。
殆どまともなやりとりが出来ない中で、売春まがいのことをしていた。
働かせていると思われた男性も、実は精神障害者手帳の保持者。
女性はこの男性を「彼氏」と言い、男性はこの女性が体調不良の時にはお世話をしていた。
寝泊りは二人でカラオケボックスのナイトパック。二人は一つの財布を共有し、どちらかに収入があった場合は、お金をその財布に入れて一緒に暮らすという。


いろいろなことを考えながら読んだ。


こういう人が教会に来たら、自分はちゃんと受け入れられるだろうか・・・とか。
実際は『憐れ』なのだが、もし教会に来たら『厄介な人』にしか見えないかもしれない。
ホームレスの炊き出しに来た女性も思い出した。


実際に若い頃に売春をしていたという女性が教会にいたことがあるが、粗暴な感じの時もあって、当時は『厄介な人』という印象を抱いたりもした。
かなりの困窮状態で、『病院に行きたいから献金を返してほしい。』と言い出したことも。
見かねてお金を貸したが、暫くすると教会に連絡があり、部屋で天に召されているのが見つかったという。


みんなで部屋の整理をしに行ったが、ワンルームマンションの中はゴミ屋敷のようだった。


まだ40代。不遇な環境で育ったとだけ聞いていたが、10代の頃の写真は驚くほど美人だった。
おそらくこの本と似たルートを辿った人だったのだろうと思う。



ただ一つ救いだったのはこの方が天に召された頃、「白い服を着た女の人が会いに来た」という夢を、教会のメンバー達が同時期に見ていたということ。
奇妙な偶然に、大変な人生だったけれどもきっと天国にいると伝えに来たねと受け止め、それは慰めとなった。



本の中で気になったキーワードは「小学生時代に救済すること」。
教育と居場所。これは教会学校に親和性が少しあるかもと思えなくもない。親も含めて。


筆者の導きだしている結論には同調しかねる点もあるが、なんとか解決案を出そうとする姿勢には倣うべき点があると思う。


聖書から導き出されるものは何か?と、ゴミ屋敷を思い出しながら振り返った。