「予言」ではなくて、「預言」。
「予知」というより神の語りかけを聞き、伝える人。
預言の働きをしている人は本当にいる。
信じて間もない頃にそういう人に会った。そもそも聞きたいことを言ってもないのに、次々と答えを言われて度肝を抜かれた。
単にすごいということより、神が本当に自分を見ているらしい・・・ということが衝撃的だった。一応信じていたはずなのだけれど。
10年以上前のことだが、先日久々ににその方に会った。
今回は何も言われなかったが、必要があれば語ってくれるだろう。こちらから尋ねることもしなかった。
依存関係では聖書的と言えない。そろそろ自分で聞きなさいという促しかとも捉えている。